2021年9月21日、私は晴れてオランダの歯科医師免許取得試験に合格した。
免許の交付が無事になされれば、日本とオランダのダブルライセンスとなる。
2016年7月にオランダに渡り、実に5年がかりで成し遂げた挑戦であった。
これからその道なき道を歩んだ冒険の全貌を記していくことにする。
初回はその全体像を記していこうと思う。
初留学ドイツ編2010〜2012
私が初めて海外に出たのは2010年7月のことだった。海外に出た、と言うのは旅行としてではなく、そこで生活するという意味だ。この時、私はドイツのレーゲスブルクという世界遺産に指定された街で1年6ヶ月生活した。目的は臨床留学という名の武者修行だった。
ドイツで1年半を過ごし帰国した私は、なぜか違和感を覚えていた。これはドイツにいた時から感じていたことだが、帰国後にその思いは加速的に膨れ上がっていった。つまり臨床留学での見学者としての立ち位置では満足できていなかったのだ。
海外でも実際に自ら診療をしたい。私の思いはその一点に向いていた。
際限なく私の心を侵食していくその思いに応えるには、再び海外に出る以外に選択肢はなかった。
ドイツにいた頃に、「またこのヨーロッパに戻ってきたいな」と感じていた私の想いは、こうして決意へと変わった。
準備期間編2012〜2016
2012年2月にドイツから日本に帰国。それから4年間、ヨーロッパへの再挑戦に向けて準備の期間が始まった。次なる挑戦の地はオランダと決めた。お世話になる病院との定期的なコンタクト、資金を貯めるための貯金生活、臨床経験のアップ。日々の生活は全てオランダでの再挑戦に向けられていた。
機は熟したと感じた2016年3月、その時勤めさせていただいていた霞ヶ浦医療センターを退職。ちょうど母船である慶應義塾大学医学部歯科・口腔外科学教室の在籍期間も満期となったため退路を断つには好タイミングであった。後ろ盾は何もなかった。
退職後の身辺整理期間を経て、2016年7月11日に私は妻と二人でオランダに渡った。
オランダでの迷走編2016〜2019
不安は言葉では言い表せないほどあったが、恐ろしいことにそれを遥かに凌駕するほどの期待と意欲で心は高揚していた。これから自分の為に、自分で選んだ道を、自分で切り開いていく、という聞き当たりは格好の良い未来にたかぶっていたのだ。
そもそもの目的はオランダで口腔外科医(オランダでは正式には頭蓋顎顔面口腔外科医)になる!というものだった。しかし、ヨーロッパで口腔外科医になるには医師と歯科医師のダブルライセンスが必要な国が多く、オランダも例外ではなった。
日本の歯科医師免許がある自分は、まずは医師免許が必要ということで情報を収集した。講義は全てオランダ語だが短縮型のインテンシブコースと、通常の年数だが最初の3年間は英語で講義が受けられるコースが存在することを知った。オランダ語を始めたばかりだった私は、先ずは英語で講義が受けられる後者のコースを目指した。
すぐさまそのコースの入学試験を受ける準備に入ったのだが、この準備が兎に角とても大変だった。私が感じたのは、オランダではそもそも受験資格を得るということ自体が大変だということだった。
右も左もわからず、右往左往とはまさにこのことだ。その時から(今もなお)所属させていただいている大学病院の同僚に聞いてみても、外国人である私とオランダ人である彼らでは必要な書類や過程が異なるため、彼らですらわかるはずもなかったのだ。
最初の受験申請は無残にもリジェクトされた。リングにさえ上がれないのかと落胆したことを覚えている。
入念な準備を経て翌年に再度申し込みをし、なんとか受験資格を獲得した。
獲得したはいいもの、試験はオランダ語と英語の両方で行われる。
オランダ語はゼロからのスタートだった私のオランダ語レベルは、その時点でもまだまだ赤子レベルであった。太刀打ちできるわけがないことは想像に容易い。
不合格は誰の目にも明らかだった。
それでもその時は、挑むことしか頭になかった。立ち止まるのが怖かったのだ。
最初の大きな挫折だった。
この時点で既にオランダに渡って3年が経過していた。
これ以上ここ(医師免許)に時間をかけるよりも他の道を探す方が得策と判断した。
歯科医師として執刀可能な外科処置も多数あることを確認し、オランダの歯科医師免許一本に目標を絞った。
こうしてオランダの歯科医師免許取得に舵を切ったのだ。
2019年の初夏だった。
オランダ歯科医師免許編2019〜2021
オランダ語の猛勉強の末、2019年10月にオランダ語検定試験(NT2試験)のアカデミックコースをパスした。医療従事者がクリアしなくてはならないオランダ語レベルをなんとかクリアした。
その1ヶ月後に母が急逝した。2019年11月2日のことだった。
オランダで正式な免許を取得して医療者として働くにはBIG-registerに登録されて、BIG番号を取得する必要がある。
BIG-registerに登録されるには、所定の試験に合格しなくてはならない。
ここでも受験資格の取得にいくつものステップがあった。
大まかにいいうと、2段階の試験をパスする必要がある。
第1段階はオランダ語の能力と最低限の英語能力を問われる一般試験:AKV試験。(前述のNT2試験とは別のもの)
それをパスすると第2段階として専門知識試験:BI試験(いわゆる歯科医師国家試験)を受けるという流れだ。
なんとか第1段階の試験(4教科)をパスして、第2段階への切符を手に入れたのが、2020年の10月のことだった。
第2段階の専門知識試験は受験資格を取得してから1年以内に試験に合格しなくてはならず、さらに再試験はない1発勝負という規則だった。試験は年に2回チャンスがあり、受験者数に制限はあるものの、空きがあれば2回のうち好きな方を受ければ良いシステムだ。
私は2021年6月開始の試験に申し込んだ。
残された準備期間は正味7ヶ月だ。
再三に渡り壁という壁にぶつかりながらここまで辿り着いわけだが、ドラマはまだまだ続いた。
なんと待望の第一子を授かっていた妻の出産予定日が試験開始日とピッタリ被ったのだ。
さぁどうする?と天から問われているかのようだった。
試験は全てオランダ語なので、これまでに培った知識と、新たに学ぶ知識を全てオランダ語に置き換えなくてはならない。日本語で復習し直すだけでも骨の折れる作業なので、想像していただければ、なかなかハードなことがご理解いただけると思う。
勿論、自分で選んだ道なので文句は一つもない。
ただただ、押し寄せる不安と、焦りを払拭しながらひたすら机に向かった。
正直、今となってはこの頃のことがあまり思い出せない。
過度のストレスで脳が忘れるように処理したのだろうか。。。笑
準備万端と思えることは一度もなかった。こればかりはどんなに時間をかけても到達しない心理状況なのだと思った。
年が明けて2021年、試験まであと5ヶ月という頃に少し風向きが変わった。
コロナの影響を重く捉えた当局が、実技試験以外の全ての試験をオンラインで行う方針にしたのだ。
これは私にとってはかなりの追い風だった。というのも、試験会場のアムステルダムは私が住んでいるマーストリヒトから片道3時間半。試験は3週間に渡り週2、3回のペースで行われる。毎回アムステルダムに通うのはかなり骨の折れる移動だ。それが全て無くなり、家から試験が受けられるのだ。経済的にも時間的にもかなり助かった。
さらに、試験まであと1ヶ月となった頃、諸事情により帝王切開での出産が決まったのだ。息子の出産予定日が早まった。試験日と被らずに済む。
息子からのエールだろうか?処置を受ける妻のことを考えれば手放しでは喜べないが、出産を気にかけながら試験を受けるという事態は避けられた。こうして試験開始の約2週間前に待望の第一子が無事誕生した。
妻と息子に感謝した。
(その後、直前で学科試験の後に行われる予定だった実技試験が、コロナと会場の都合から5月末に前倒しして開始されるというハプニングはあったものの、)
3週間にわたる怒涛の、そして人生で1番張り詰めた日々が嵐のように過ぎ去った。
燃え尽きて灰になったのが、2021年7月2日のことだった。
それから待つこと2ヶ月半。運命の合格発表の日が突如訪れた。
突如というのは、合格発表日が事前には正式に決まっていないのだ。
結果が出次第、メールで知らされるという前情報のみで、いつ発表されるかわからないまま待たなくてはならなかった。
結果を早く知りたい反面、知らないままもう少しゆっくりしていたい、という板挟みの2ヶ月半だった。
こうして、オランダに渡ってから5年と2ヶ月と10日が経過した2021年9月21日。私は晴れてオランダ歯科医師資格試験に合格した。
喜びを飛び越えて、安堵の波が私を飲み込んでいた。
思い返せば、精神的な浮き沈みは幾度となくあった。
挑戦を諦めて日本に帰ろうかと思いそうな時も何度もあった。
喉から手が出そうになる様な日本での再就職の話もあった。
自分の選択を疑いそうになったこともあった。
止めるきっかけはいくらでもあった。
でも止めなかった。
止める理由は幾つでも思いついた。
でもたった一つの止めない理由がわたしを踏み留まらせた。
今やめたら一生涯後悔する。それだけだった。
どっちの選択が正しいとか正しくないとか、そういう話ではないのだ。
止めるのも覚悟、続けるのも覚悟。
成る前にやめるか、成るまで続けるか。
全ては覚悟の問題なんです。
これから編2022〜
2022年1月現在、オランダ歯科医師免許交付手続が現在進行形だ。
(注:2022年6月に無事歯科医師としてオランダ政府に登録されました。BIG-nummer:09927346702)
これから3ヶ月間、オランダの歯科クリニックでの研修の後に、正式にオランダ歯科医師としてオランダ国に登録される流れとなっている。
今思えば、オランダに渡る決意をしたわたしは、自分の想い描く口腔外科医になるために、一度口腔外科医を辞めたようなものだった。
5年の沈黙だった。
さぁ、第2の人生の幕開けだ。
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