海外留学、海外での挑戦を考えている若き挑戦者に、
エールを送りたくこの記事を書きます。
困難が多いのか?そんな気がするだけなのか?
生きてりゃ大変なことはたくさんあります。
大変さの度合いは様々だし、頻度も人ぞれぞれで、一緒くたには比べられませんが、
どこに生きていようと、どんな職業だろうと、
大なり小なり、何かは起こります。
それらを乗り越えながら生きていくことは、万人に共通の課題なのではないでしょうか。
とはいえ、
こと、海外で暮らしているとなんとなくですが、
困難な場面や、乗り越えるべき事象が
日本にいた頃よりも多くなった気がします。
そりゃそうでしょ!異国の地だもの。とも思えるし、
もしかしたら単なる気のせいなのかもしれません。
バイアスがかかってそう思い込んでいるとか。。。
まぁ、それはどっちでも構いません。
バイアスを超えた海外での苦労
いづれにせよ、海外に暮らしを移したがゆえの壁というのは、当然生まれるわけです。
文化の違い、習慣の違い、規則の違い、言葉の違い、
言葉の違いからくる伝達能力と情報処理能力の違い、、、
相手言っていることが確実に理解できているか?
相手の気持ちをくめているか?
その逆もしかり。
などなど、そりゃもう様々な面で、
オット!とつまづくわけです。
立て続けにくることもあります。
なんじゃそりゃ!って言いたくなるようなこともあります。
それは盲点だったぁー!ということもあります。
へこむこともあります。
悔しい時もあります。
考えすぎて、自ら自信を手放しそうになることもあります。(手放してはいけません!)
不必要な孤独や不安を覚えることもあります。
Why? For what?
でもじゃあ、なんだってそんな苦労をしてまでそんなこと(海外挑戦)をしているんだ?
という至極単純な問いも生まれるわけです。
その答えはと言うと、
シンプルに、そうしたいから!なのです。
そうなんです!そうしたいから!なのです。
そうなのですが、
この「し た い か ら」の5文字では到底表現しきれない「し た い」がそこには詰まっているわけです。
なんで「し た い」のか?
いつから「し た い」のか?
どんなきっかけで「し た い」のか?
どんな人生の変遷を経て「し た い」に至ったのか?
「し た い」を追い求めているうちにどう自分が変わったのか?
「し た い」を目指す中で何を達成できたのか?
「し た い」の先に見えているものはなんなのか?
もう、そんなありとあらゆる要素が絡みあっての「し た い」なのです。
捉え方の変化
マーストリヒト大学病院の医局のデスクから、ふと外を眺めます。
そこには、緑の木々と数々の建物、そして道を行く車が見えます。
その物体のカテゴリーだけで言えば、どこも同じような景色なわけです。
自然があって、建物があって、車が走ってて、、、
日本で見てきたそれと要素としては差がないわけです。
それなのになんか違って見えたりするわけです。(建物の様式が違うからと言うこともありますが、)
何か、単なる景色でも、
充実感と達成感に裏打ちされた景色に見えたりするのです。
捉え方が違うせいなのでしょう。
脳のフィルターがアップデートされたとでも言いましょうか。
目の前の事象は同じでも、受け取り手の捉え方が変われば、個人の中での事実は如何様にも変わるわけです。
そういう目線や五感が新たに得られたことだけでも、
海外で頑張る価値を強く感じます。
大きく振れる針
海外で医療者として資格を取得して働くという夢を実現した後、
そこから得られる喜びや、充実感や、
不安やストレス、孤独も、
日本にいた頃のそれらとは大きく違うものになりました。
プラスにも大きければ、マイナスにも大きく針が振れます。
え、そんなとこまで目盛りあったっけ?と言うくらいギュイーンっと針が振れるものです。
7年経った今でも、浮き沈みはあるものです。
少しずつは、舵取りに慣れてきましたが、
今もなお、日々を生きることに想像以上のエネルギーが必要とされます。
So what?
さて、
あなたが海外で苦労を乗り越えながら頑張っているのはわかったよ、と。
で、だからなんなんだ? と言われれば、
「いや、それだけのことです。」としか言いようがないでしょう。
なにっちゃない。それだけのこと。なのです。
他の人に対しては「それだけのこと」でいいんです。
目の前の事象が同じでも、受け取り手の捉え方が変われば、個人の中での事実は如何様にも変わるわけです。
自分にとって「それだけのこと」が「し た い か ら」の産物であることが最も大事なわけです。
そうすれば、少なくとも自分には「それだけのこと」は「それだけ」ではなくなります。
途方もない想いが詰まったこれまでの軌跡なのです。
そしてその「それだけのこと」は、次章へと続きていきます。
そしてその軌跡は、自分が生きた証となる「自伝」の一部へとなっていくのだと思います。
(自伝を書くわけではありませんが。)
恒常性にあがらう
特に大きい目標に向かうときは、
どうしても自分の今までのコンフォタブルソーンの外に出る必要があります。
そこはアンコンフォタブルゾーンです。ストレスがより多くあり心地よくありません。
そのアンコンフォタブルゾーンを居心地の良い場所に変えていくのです。
コンフォタブルに戻りたいという恒常性に対抗しないといけません。
自分のコンフォタブルソーンを理想の方向へとずらしていくと言うことです。
そのためには、どんな困難があっても、苦労があっても、耐え忍び、乗り越え、自分の血肉へと変換していく、
そういう覚悟が必要なのです。
私はそう思って生きいます。
すべては覚悟の問題なんです。
振れるならプラス側に!
そして最後に、
ここまで、苦労や困難、障壁といったことに言及しましたが、
もちろん、喜ばれたり、感謝されたり、頼りにされたり、褒められたりして、
めちゃくちゃ承認欲求が満たされることだって多々あります。
プラスに振れたた針は、謙遜しすぎずに真っ正面から喜んでやろうと思います。
みんな大概頑張っているのですから!
(短歌風)
だからなに、
それだけのこと
したいこと。
海外で医療者として働くための道!シリーズの記事はこちらから↓
http://www.chiptankoyama.com/category/海外で歯科医師として働く/
海外留学や海外での仕事に興味のある先生方は、ぜひ御お一読下さい。