結局のところすべての事は陰と陽でできている。
そういう本を昔読んだことがあります。
当時自分なりに解釈して、どうせなら陽の方に目を向けて生きていこうと思いました。そして今でもそう思っています。
⒈ 何事も捉え方次第 |
格言とかでよくみる ” 恐怖や不安とは実在するものではなく、自分が作り出したものに過ぎない ” という類の言葉がわかりやすい例です。
世の中には恐怖とか不安というものや事柄が存在しているわけではありません。とある事や物に対する自分の抱いた感情が、結果的に恐怖や不安を産み出しているのです。同じ事柄でも、Aさんから見れば何でもないことで、Bさんから見ればひどく不安な事柄だった、みたいなことです。
” 明日はプレゼンがある!”
Aさん:自分の考えや思いを伝える良い機会だ。これまでの努力と成果を伝えるぞ!準備もしっかりしたし、皆んなの反応が楽しみだ。自分と違う意見も聞けるかもしれないし。楽しみだ。
Bさん:人前で話すなんて嫌だなぁ。自分の考えが通じるかなぁ?準備は一応したけど足りてるかなぁ?反対意見ばかりだったらどうしよう。あー不安だ。
本来そこにある事象は ” 明日はプレゼンがある! ” ということだけです。それ自体は特に恐怖とか不安という事でも物でもないのです。目の前にある事象を自分の中のフィルターを通してた結果で変わってきてしまうわけです。Aさんなら楽しみな事。Bさんなら不安な事。中身は一緒のはずなのに、人が違えば天地の差が生まれてしまう可能性があるわけです。
だとしたら、いろんな事をポジティブに捉えていきたいものです。陰と陽なら陽の面を見るようにしたいと思っています。
↓ちなみに冒頭で触れた本は、自分が研修医時代に同僚に教えてもらって読んだ本です。↓
⒉ 年齢っていったい何? |
この記事を書くきっかけは、たまたま先日誕生日だったことです。
今は幸か不幸か、世の中便利か不便か、捉え方は人それぞれですがSNSなどで誕生日はほぼ公表状態です。言わずとも知られてしまう、または知ってもらえるわけです。
そんなこんなで病院内でも年齢の話になります。
「今日誕生日なんでしょう!?おめでとう〜!!」ハグッ
「そうなんだよー、ありがとう!!」
「で、何歳になったの?」
「38歳」
「・・・え?・・・本当に??」
「うん、本当」
「ずいぶん若く見えるんだねぇ。化粧品でも使ってるの?」
という会話になりました。(若く見られたことを人に知らしめたい記事では決してありません。笑)
自分のみならず、こちらでは日本人(アジア人?)は全般的に実年齢より若く見られる傾向にあります。スーパーでワインを買うときもよく身分証の提示を求められます。
年齢より若く見られることは一般的には喜ばしいことでしょう。しかし見方を変えれば、もしくはその時の年齢から考慮すれば、場合によってはなめられちゃってるというか、お子ちゃまに見られてしまっているとも捉えられます。
実年齢より若い、言い換えれば年相応でないということが良く転ぶこともあればその逆もしかりな訳です。年相応でないというのは見た目だけの問題でない可能性もあります。中身も年相応でないという可能性です。
これも陰と陽です。
あの人は中身も年相応でなく(幼すぎて)頼りにならない、幼稚だ。
あの人は中身も年相応でなく(若くて)元気でバイタリティに溢れている。
どちらか選べるなら後者でありたいと思ってしまいますね。
しかし、これに関しては周りが抱く感情なのでどっちに思われるかは自分でコントロールできる範疇のことではありません。それまでの生き方や、立ち振る舞い、雰囲気によるものでしょう。自分でコントロールできるとしたらその点です。
面白いもので、年齢という数字を知らなければ年相応であるとかないとか、そもそもそんなこと考えないわけです。あの人は〇〇歳くらいだな、とそれぞれが勝手に判断して接しているわけです。結局中身で付き合っているわけですから。
そう考えると年齢っていうのは何なのでしょう?
単に、生まれてから何回12ヶ月というターンを繰り返したか を表す数字に過ぎないとも考えられます。
⒊ すべての事は陰と陽でできている |
何事もにも悪い側面と良い側面がある。
何事も悪い解釈と良い解釈ができる。
自分の見方次第で結果が変わるなら、良い方向を目指さない理由なんてありません。
年齢に関して言えば、単なる数字でそれ自体はどうでも良いと思っているのが結論です。
20歳までにはそうなっていて、30歳までにはああなっていて、40歳の時にはこうなっているはずだ。という目標を決めてそれを確実に実現していくのも成功法の一つだとは思います。しかし、〇〇歳ならそうなっていないといけないとか、そうなっているべきだとか、周りはそうしている、なんてことはお構いなしで良いと思っています。正直、30歳が31歳に成っても、37歳が38歳になってもその途端に何かが激変するわけではありません。
大事なのは年齢を表す数字ではないのです。
今をどう生きているかです。
年齢を表す数字がいくつであっても、自分にとっての陽を捉え続けて生きていきたいと考えています。人がどう思おうが、数字が何であろうがあまり問題ではないのです。自分がわくわくする様な、自分が向上できる様な、自分がポジティブになれる様な、そんな挑戦をしながら生きていければ幸せものです。(家族に迷惑をかけない範囲で、ですが。)
それが結果的に若さに繋がるならそれもそれで儲け物と捉えます。
なにも年齢に限ったことではありません。すべてにおいて言えることです。
すべての事に陰と陽の面があるなら、陽を見る様に努めています。最初は意識てきでも、努めてそういう見方をしているとそういう癖がつきます。知らぬ間に自然と物事をポジティブにとらえる様になるものです。(それで足元すくわれない様に、頭の片隅には俯瞰な目線も忘れない様にもしていますが。)
【今日のオランダ語】
今日は映画館開いてると思う?
Denk je dat de bibliotheek vandaag open is?
(デンキェ ダットゥ ドゥ ビブリオテークファンダッハ オーペン イス)