自分は、絵を描くことが得意な方ですし、好きです。やっていて楽しいです。
そして極論を言えば自分の人生そのもの。
⒈ 上手く(得意に)なるには練習(勉強)が必要? |
これは自信を持って言えます。続けられるか否かが問題なだけです。
そもそも、練習とはどういうことでしょうか?
辞書には、練習とは、学問・技芸などを、くり返して習うこと とあります。
また、練習に関してこんな説明もあります。
刺激stimulusと反応responseの結合に関して,1910年アメリカの心理学者E.L.ソーンダイクは二つの性質を見いだした。その一つは,ある刺激に対してある反応が起こるとき,それが繰り返されると刺激と反応の結合が強められるというもので,このとき繰り返される操作を練習と呼ぶ。また第2の性質は,これが繰り返されないときは刺激と反応の結合が弱められる。すなわち,練習しないときは刺激―反応の結合は弱められる,というものである。
絵でもなんでも、毎日もしくは頻繁に繰り返し行えば、練習していることになります。
ところが自分は絵に関しては、練習と思ったことがありません。
好きだし楽しいから描いています。結果、描けば描くほど上手くなります。
上手く描ければまた描きたくなります。できるだけ絵を描く時間を多くしたいと思います。
という好循環。
⒉ 楽しむことは才能だ! |
先日友人に、「楽しむことは才能だ!」という言葉を頂きました。
才能というと、天賦の才能という言葉みたいに、先天的に備わっているものという印象をつい持ってしまいますが、後からでも手に入れられると思っています。
そして楽しむ才能を手に入れて、多くのことに応用できれば好循環の嵐を引き寄せられます。
そもそも好きなことは楽しんでできるし、楽しいことは好きになれる。これは無意識にそうなっているので問題ありません。
がしかし、苦しいこともあるもんです。
自分は意識的に、苦しいという言葉は使わないようにしているし、苦しいと思わないようにもしています。そう感じてしまいそうな時、もしくは、本望ではないがそう感んじてしまった時は、別の感情に置き換えるようにしています。つまり苦しい、嫌だという事柄をもっと細分化して考え、別の言葉に言い換えるわけです。
例えば、目標達成への布石とか、向上への軌跡、投資、助走、なんて言い換えれば聞こえもいいし、嫌な気もしない。その先にある、喜び、楽しみ、達成感、成功を得るために必要な過程と考えれば、やる気が出てくるし、ワクワクしてきます。
楽しむ才能を手に入れれば、刺激stimulusと反応responseの結合がよりいっそう強くなります。
反復(練習)という作業は好きか嫌いかで、苦楽に大きな差が生まれるからです。
いくら反復しても嫌々では、刺激と反応の結合が弱いままです。
当たり前ですが、世の中最初から好きなことばかりではありません。
勉強と聞くと漠然と嫌ですが、目標達成に必要なのであれば喜んでやります。
最初から、楽しんでできるとは言い切れませんが、楽しむようにしています。また、言い換えの術を使って楽しむように仕向ける癖をつけていると、徐々にそう思えてきます。
いくら練習や勉強(刺激)を重ねても、上達しなっかたり結果(反応)が出ないのは楽しめていないことが要因かもしれません。
「楽しむ才能」で、「楽しいから好き」なことを増やせば、「好きこそ物の上手なれ」が増えます。
⒊ どうせなら人生そのもを「好きこそ物の上手なれ」 |
オランダでの生活でも、言葉をはじめ日本の生活に比べれば不便に感じることが山ほどあります。それでも毎日が海外旅行と考えれば楽しめます。
考えてみれば、人生そのものには練習があるのでしょうか?
(これに関しては、様々な捉え方できると思いますが。)
僕にとっては、毎日が本番です。それでいて、本番である毎日が、練習の積み重ねにもなっている。
【今日のオランダ語】
楽しんでね!
Veel plezier!
(フェール プレジエール!)