2010年7月から2012年の2月まで、僕はドイツのレーゲスブルク大学病院に1年半留学しました。
目的は「もっと沢山の手術を見たい」、「海外の臨床を知りたい」といったざっくりしたものでした。
いわゆる臨床留学です。
見識を深めたい特定の分野や手技があったわけではなく、また帰国後にその留学をどう役立てるかなどといった具体的なビジョンも一切ありませんでした。
とりあえず行かなきゃ世界を知れないという勢いでした。その後オランダに再挑戦する際の心境の変化などを含め、詳しくはこちらの記事もご覧ください。↓
目次
なぜドイツ?
当初僕は勝手にアメリカ方面に留学に行くものだとばかり思っていました。
留学=アメリカと勝手に決めつけていました。留学準備として英会話学校に通ったりもしていました。
しかし最終的に当時のボスからの紹介でドイツのレーゲンスブルクに留学することに決まりました。
ドイツ語は全く喋れませんでした。
当時ボスに「病院では英語が通じるから大丈夫。臨床を見るならヨーロッパに行きなさい。」と送り出していただいたことを今でも覚えています。
レーゲンスブルク
レーゲンスブルク(Regensburg)は南ドイツ、バイエルン州の東部に位置する小さな街です。旧市街の街並みが世界遺産に登録されていて、街中をドナウ川が流れています。
ミュンヘンから北東に120 kmほどのところにあります。
街の中心に有名な古い石橋があり、その橋の脇に世界最古と謳われるソーセージ屋さんがありました。
私がお世話になったのは、街の郊外にあるレーゲンスブルク大学病院の頭蓋顎顔面口腔外科学講座でした。
ドイツ臨床留学の末に感じたこと
僕の目的は冒頭でお伝えしたように臨床留学でした。
毎日のように全身麻酔のオペや外来オペのアシストについたり見学したりしました。
研究留学とは違って、明白な自分の役割というものがありません。受け入れ先にしてみれば、僕がいようがいまいが全くお構いなしなわけです。
そのような状況の中で自分の情熱を感じてもらって、アシストにつかせてもらったり、研究の手伝いをさせてもらったり、自分の居場所というものを見つけ出すことは非常に大変なことでした。
今思い返せばもっと色々できたと思いますが、当時はそれなりに精一杯でした。
ドイツではドクターは大抵英語が話せましたが、スーパーや日用品店、美容院など、普段の生活では英語が通じないことが多々ありました。市が開催してくれているドイツ語学校にも通いました。
後半の方は買い物くらいならドイツ語でできるようになりましたが、日々生きているだけでそれなりに大変でした。何をするにも簡単にはいかなかったからです。
だからこそ、ああ、生きてるなぁという実感も強く感じました。日本にいるだけでは味わえなかった感覚です。
その反面で、明日自分が病院に行かなくても何も変わらない、という自分の居場所探しに関するモヤモヤは抱えたままでした。
まぁ、留学ってそういうもんだし、深く考え過ぎなくても良いかなと自らに言い聞かせている部分はありました。結局このモヤモヤは帰国後も消えることはありませんでした。
留学はするとなったらそれなりに大変ですし、留学したという事実だけでもなんとなく”凄い”という風潮はあったと思います。
そんな風潮を自分の肌で感じながらも、本心では
・俺、見ていた(アシスト)だけで何もしてないじゃん!?
・海外に住むだけならその気になれば誰にでもできるし、、、
・私はこの留学で明白に成し遂げたと言えるものがあるのだろうか?
と感じていました。
何かが違う、このままでは海外への想いが消化しきれない。
その想いは僕の中で加速的に膨張していきました。
「よし!今度は海外で実際に自分で診療をしよう!」そう決心するに至りました。
こうして僕はヨーロッパの地に再挑戦することを決意しました。
次こそは
行った先で
その国の社会に属したかった、
チームの一員になりたかった、
患者さんの役に立ちたかった、
明確な達成感を感じたかったのです。
決戦の地はドイツでのある出会いが導いてくれたオランダです。
なぜオランダだったのかはまた別の記事で紹介します。