事前情報:私の初めての留学2010年ドイツ、再挑戦の地オランダ(2016年から現在もオランダ在住)
留学してみたいけれど、具体的な目的や、その後のビジョンがない、、、
明確な理由がなくても留学していいのかな、、、?と悩んでいる方
安心してください、留学に大層ご立派な理由なんてなくてもいいんです。
なんとなく
私が2010年に初めてドイツに留学したときは、なんとなくでした。
なんとなくというのは、具体的なビジョンがないということです。
最初の衝動は、単純に「留学してみたい」「したほうが自分のためになるかな?」「海外を知りたい」「海外の手術を見たい」といった感じです。
あとは人と違うことがしたかった、という思いもありました。
そんなもんです。そんなもんでも、その後の人生は激変しました。
なんとなくでもあの時留学に踏み切って本当によかったと思っています。
今回は私が何故海外に興味を持ったのか?その理由を書いていこうと思います。
以下の5つの理由で、僕は海外への挑戦に掻き立てられました。
理由1 :両親が海外留学をしていた・先ずは親を超えなさい
影響を最も受けたのは両親が共に海外留学を経験しているという事実だと思います。
父はドイツに、母はアメリカに留学していたことがありました。
父は2年ほど、母はアメリカの大学を卒業してきているので4年は海外で生活していた事になります。
母の留学時代の話はときどき母から聞いていました。
その当時はまだまだ海外に行くだけでも大変だったのに、4年もアメリカに滞在したと聞いた時はいろいろな意味でおどろきました。
そんな時代にもかかわらず、母はこともあろうか英語が全然話せないまま、行けばなんとかなると日本を飛び出したのだと言います。どれだけ破天荒なんだ!?と尊敬の意を込めて突っ込みたくなります。
祖父(母の父親)には反対されなかったのか?という問いに母は、出発前日に「明日からアメリカに行ってくる」と伝えて日本を発ったから反対も何もなかった。と答えました。その頃のおじいちゃんにしてみればたまったもんじゃなかっただろうなぁ。
また、幼い頃に実家にあるアルバムを開くと、父と母の若かりし頃の写真が多数見られました。その中にはいくつか海外留学中の写真もあったので、自然とそれらを目にしていました。
こうして留学の話や写真など、海外生活に関する情報に幼い頃から触れていたことが、大いに影響していることは間違い無いだろうと思います。
「まずは親を超えなさい」
苫米地英人先生の著書に「まずは親を超えなさい」があります。
その本と出会う前に私は留学を決意してはいるのですが、潜在的に親を越えようとしていたのかもしれない。と思っていました。
幼い頃から父と母には良くしてもらいました。幼心に、自分もいずれはそれ以上の暮らしを家族に提供できる様にならなくては!そういうふうに考えていました。それもあってか、両親を超えるには、少なくともいつかは海外生活を経験しなくては何も始まらないな、と思っていました。
しかし苫米地先生の本によると、我々の潜在意識での選択の8割以上は親の真似事なのだそうです。
ある意味では洗脳なのです。生まれてから自立するまでの間に、多くのことを親から教わり、多くの時間を親と過ごし、多くの場面で親の背中を見てきたことを考えれば当然とも言えます。従って、親に与えてもらった考え方を自分なりに押し広げ、自分をさらに大きく羽ばたかせるには、その真似事の域を越えないとならないというようなことが書かれていました。
その理論をもとに考えると、最初にドイツに留学を決めたときは、まさに親の真似事の域だったのです。しかし、留学というみているだけの立場では満足できず、実際に自分でも診療をするのだと決意し、オランダに挑戦を決めたことは、「親を超えなさい」の域に達していたのかもしれません。
理由2:CISV(Children’s International Summer Villages)・コネクティングザドッツ
我々3兄弟は、母の勧めで学童期にそれぞれ1ヶ月ほど、海外生活をさせてもらったことがあります。兄は交換留学でイタリア、私はCISVでオランダに、弟も友人とUCLAに行かせてもらったことがあります。
CISVは今でも活動されている機関で、海外との交流を経験できる様々なプログラムがあります。私は11歳が対象のビレッジというプログラムにに参加しました。
当時は11歳の男子2人、女子2人の計4人の子供に、引率者として大人1名と大学生1名の計6人で1つのグループを形成しました。同じような編成のグループが各国(現在のホームページ上では12カ国)から集まりビレッジで1ヶ月間生活を共にするのです。私がこの時訪れたビレッジがオランダでした。
この時の経験から、日本の外にも世界が広がっているという至極当たり前のことを肌で感じるようになりました。
この頃にオランダに行っていたことと再挑戦の地がオランダであったことは、何かしらの運命なのか単なる偶然なのか未だに分かりませんが、点と点が繋がったが気もします。
スティーブジョブスのコネクティングザドッツ(Connecting the dots)の演説を思い出しました。
理由3:漠然とあった日本しか知らないことへの不安と不満・自分にだけには嘘はつけない
これはシンプルに「この広い世界で、はたして日本しか知らないままで良いのか?」という疑問です。
なぜ選択肢がほかにもあるのに、それを選択しないのか?という疑問でもありました。
選ばないのか選べないのか?
日本の外にある選択肢を視野に入れない事が嫌だったし、
壁が高いという理由で選べないと思っているのも嫌でした。
自問自答
そこに自分が知らないだけで、本当は素晴らしい経験が待っているかもしれないのに、指を咥えて見ているだけでいいの?
勇気がないだけなのに、もっともらしい理由をつけて尻込みしているだけでいいの?
そんな感じでした。
自分のことは自分によって見透かされています。
本当は海外に行きたいのに、挑戦したいのに、それらしい理由で自分を騙すことはできませんでした。
だから日本の外にある世界を選んで経験してみたかったのです。
理由4:海外への憧れ・西洋医学の発展の地ヨーロッパ
正直に言えば、海外への憧れも勿論ありました。
単純にキラキラして見えるとか、おしゃれな街に住んでみたいな、といった感覚です。
また、さまざまな面において海外の方が進んでいる面が多々あることも事実です。医療の分野でもそれは当てはまる事だと思います。そういうものに自分の肌で触れてみたかったのです。
そして西洋医学の発展の中心がヨーロッパであることも興味をひかれた一因と言えます。
日本の医療の歴史を見ても、江戸時代にまず日本に伝わったのがオランダ医学であり、その後明治維新を経てその地位をドイツ医学に譲った経緯があります。
その点においても、最初の留学先がドイツであり再挑戦の地がオランダであることは、その偶然に意味を見出そうとしてしまう今日この頃です。
理由5:何かを変えたかった・ビッグバン
いわゆる中堅どころと言われる年齢になった頃、「自分の人生(生き方)はこのままで良いのだろうか?」と思い始めました。
自分の人生の5年後や10年後がなんとなく想像できてしまったのです。
その見えた道を歩むために一度しかない人生を費やすのもどうかと思ったのです。
勿論、その想像通りに物事が進む保証はないし、想像を超える挑戦は日本でもできたかもしれません。
しかし、自分で達成可能と思える想定範囲の延長線上から外れないと、このモヤモヤは取れないと直感的に思いました。
大袈裟に言えば、自分で自分にビッグバンを起こしたかったのかもしれません。
そのためには、言葉も文化も習慣も違う海外でゼロから挑戦することが、想像可能な延長線からもっとも離れるのに好都合でした。
そこで何かを成し遂げれば、間違いなく頑張ったと言えるでしょ?みたいな。
以上のような5つの理由
・先ずは親を超えなさい
・コネクティングドット
・自分にだけは嘘はつけない
・西洋医学発展の地
・ビッグバン
が私を海外挑戦へと駆り立て、背中を押し続けてきたのだと思います。
迷ったら行こう!
冒頭に記したように、私が初めてドイツに留学した時はなんとなくでした。理由1の親の影響だと思います。
具体的なビジョンはありませんでした。行きたいから行ったのです。
当時、極少数の方に「目的もビジョンもなく行っても意味ないよ」と言われたこともありました。
それは違うと証明できました。
今思えば、このようなネガティブな助言は一見するともっともらしく聞こえるだけで、本当は意味ないなどといっている本人にそもそも勇気がないのです。実は行動できない自分達を正当化するための言い訳なことがほとんどです。本当にあなたを心配して助言しているのではないことが多々あります。
迷う必要はありません。自分に正直に。その代わり何が起きても自己責任です。
きっかけとなる理由はなんでもいいんです。
たいそうな志や、具体的な目的がなくたって私はいいと思います。
行けば必ず何かが見えてきます。
何も見えなくてもそれはそれです。
行ってみたけど自分にはそれ以上でもそれ以下でもなかったということがわかっただけでも儲け物です。
そしてそれは、いかなければ決して見えなかったものです。
私は、明確なビジョンがないドイツ留学の後に、海外でも診療したいという新たな目標をん見つけました。
そして今日のオランダでの挑戦につながっています。
もし海外留学をしようかしまいか悩んでいる方がこの記事を読んでくださっているのなら、是非行くことをお勧めします。