どんな生き方であれ、どんな人生であれ、
自分を信じる事ができていれば概ね勝ちだと思っています。
⒈ やりましょう・なりましょう・信じましょう |
・やりたい事
・なりたい自分
があるのなら、
やりましょう!なりましょう!
人生がいつ終わるかなんて皆んな誰にも解らない訳で、そう考えれば何かに挑戦するのに、遅いとか早いとかないとも言えます。
いつ始めたって遅かった可能性もあるし、早すぎた可能性もあるわけです。
なりたい自分の像が途方もなくデカすぎて一見実現は困難に思えても、成るのは自分だし、自分がやらなきゃ成れないし。
言い訳は非常に簡単で楽なわけで、不思議なことに何かを続けるより、やめてしまう理由を見つける方が人間は得意なように思えます。
やらないのも、できないのも、成れないのも、挑戦しないのも、
どれも今からでは〇〇だから、
今は状況が〇〇だから、
〇〇のこともあるし、
うまくいく保証ないし。
だからやらない、できない、やめちゃおう。
もしくはやってみたものの、上手くいかなかったのは
〇〇にやれと言われたから、
〇〇のせいで、
本当はやりたくなかったけど、
〇〇が絶対大丈夫って言ったのに。
あーあ、自分は本当はやりたくなかったのに。
そうは成りたくないし、成るつもりもありません。
そのためにも、日頃からしっかり自分で自分を信じていることが大切です。
自分で自分を信じていれば、すべての選択に自分で自分に胸を張れます。
言い訳はありません。
責任転嫁もありません。
純粋な己で下した選択と、その結果があるのみです。
本来存在しえないはずの、邪念に惑わされ、自分に言い訳をする必要もありません。
やりましょう・成りましょう・信じましょう!
⒉ 自分で自分を信じ「させる」か、信じて「あげる」か |
自分を信じると言っても、
簡単なようで、
なかなかできなかったりもするものです。
そもそも何を根拠に信じるのか。
他人が言ってることの方が、何故だか正しく思えたり、聞こえが良かったり。
そんな風に思えることも無くはないかもしれません。
それもこれも、
自分以外を信じれば、
「ダメだった時に何かのせいにできる」
という、保険を作りたい心理が働くせいなのです。
やれない、成れない、信じられない。
やらなくても、成れなくても、
誰かや何かのせいには出来ます。
それは、人生の半分、いや半分以上を誰かや何かに委ねていると言っても過言では有りません。
自分のものですから、
自分で決めて、
自分でなって、
自分を信じないものです。
自分を信じる際にふたとおりのみちがあります。
自分を信じてあげるか、
自分を信じさせるか。
結論から言えば、どちらでも良いわけです。
信じるほどの裏打ちや経験が無いのであれば、優しく信じてあげればいい。
結果を出して来た経験があるのなら、信じていない自分を、大丈夫と説き伏せてでも信じさせればいい。
どっちでも、結果として自分を信じるに至ればこっちの物です。
やりましょう!成りましょう!信じましょう!